ノイジーマイノリテイーを増幅するネットーネットのヒマ人やネトウヨの影響力を削ぐためにも彼らをスルーしましょう
もうだいぶ前の話だけどネットに 大阪大学大学院の辻大介・人間科学研究科准教授らが2008年に発表した『インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究』についての記事を見た。大手ネットリサーチ会社・マクロミルのモニター会員約1000人を対象に実施した調査でかなり的確に分析した調査と考える
「1000人のモニターはインターネットのヘビーユーザーが多いという偏りが考えられるため、実際のネット利用者におけるネット右翼的な層は、1%を下回ると推測されます。ただし、少し条件を緩和すると、その割合は3.1%となりました。いずれも全体からすれば小さな数字ですが、この人たちが様々な場面で活動し、目立っているものと考えられます」(辻氏)
詳細はこちら
http://d-tsuji.com/paper/r04/report04.pdf
実はこれを見て別のネットにもよくいる「悪質クレーマー」の調査を思い出した
http://クレーム実態調査.com/%e5%ae%9f%e6%85%8b/
このクレーム層もいろんな調査がありますが、ネットユーザーに限って言うとせいぜい全体のユーザーの1-2%程度に過ぎないということだ
だが
ネットを見るとあたかもネトウヨやこのようなクレーマーの主張があたかもネットでは多数派、とまでいかなくとも社会の中の割合の相当数の意見であるかのような印象を持ってしまう
いわゆるネトウヨに関するいろんな研究があるがネトウヨ研究家としても知られる古谷経衡氏によるとネトウヨ層は主に30-40代の中間層の男性が主だという。いわゆる「バブル後」の世代でバブル世代のような「オイシイ思い」をすることができなかったことがトラウマとなり、その原因を短絡的に在日の外国人と決めつけヘイトスピーチをまき散らすという。
だがそのような人間は30-40代の男性でもせいぜい数パーセントに過ぎない
ではなぜ、ネトウヨやナンセンスクレーム層、ネットに炎上を弾き起そうとするヒマ人がせいぜい全ユーザーの数パーセントにすぎないのに、彼らはネットのみならず社会に対してもかなりの影響を及ぼすことができるのだろうか?
それはネットは本質的にノイジーマイノリテイーを増幅する力があるからである。
これはある意味ネットのマイナスな面と私は考える。なぜならインターネットはパーソナルなメデイアであり、それは爆発中和機能と感情的包摂機能を持つ地域共同体の空洞化をもたらしている。と宮台真司は分析している。そしてそれがノイジー・マイノリティであるクレージー・クレーマーやネット右翼の暴発の背景となるとしている
行政を問題にする連中を僕は<クレージー・クレーマー>(<CC>と略称)と呼びます。彼らはラウド・マイノリティ(声だけデカイ少数者)に過ぎません。でも行政が彼らを恐れるのは、「子どもの目が潰れたらどうするんだ!」「子どもが骨折したらどうするんだ!」というクレームが〝それなりに正論〟で、訴訟に負けかねないからです。<CC>出現の背景は地域共同体の空洞化です。二つの側面があります。第一に、地域共同体がしっかりしていれば、隣人訴訟がそうであるように地域住民が<CC>の暴発を食い止めますが、それができなくなります。第二に、丸山眞男の末端ファシズム分析に従えば、社会的に恵まれず、知的ネットワークから排除された「孤独な人」が、専ら<CC>として吹き上がります。
後者について言うと、<CC>と「ネトウヨ (ネット右翼)」や「ネット釣られ層」は、(1)暴発中和機能と (2)感情的包摂機能を持つ地域共同体の、空洞化という背景を共有します。 — 宮台真司「新住民が生み出した、<行政過剰依存>の時代」、磯部涼 編『踊ってはいけない国、日本』
ネトウヨもクレージー・クレーマーも宮台氏のいうように社会的に恵まれず(平均年収より上の人であっても社会面で恵まれていない人)、知的ネットワークから排除された「孤独な人」であり、はっきりいえば本来なら相手にする価値もない層である。
ではなぜネットがこういったノイジーマイノリテイ―の声を増幅してしまうのか、
私が思うにそういうノイジーマイノリテイーの主張をネットのインフルエンサー(有名人)や大手企業といったエスタブリッシュメントが取り上げるからだと考える。
ノイジーマイノリテイ―は一見、「それなりの正論」「正義」のオブラートにかぶさった主張をすることがある(勿論ネトウヨにはそういう「オブラート」にくるまれていないケースも多い)。そのためインフルエンサーやエスタブリッシュメントが「それなりの」対応をしてしまうのだ。
インフルエンサー(有名人)や大手企業といったエスタブリッシュメントはtwitterを始めソーシャルネットではフォロワーや友人がかなりの数に上ることから彼らの主張は必然的に多くの人間にさらされることになる。またインフルエンサーは別のインフルエンサーとつながっていることもあり、ノイジーマイノリテイーの言動が連鎖反応的に拡散されてしまうことになる。
その結果本来は相手にする価値のない、スルーするしかないノイジーマイノリテイ―の主張が急激な勢いで拡散されてしまうのだ。
ネトウヨもクレージー・クレーマーも普段のリアルな世界では全く相手にされないが、ネットだと自分の意見が拡散され、一定の社会的影響力まで手にしてしまう。それは麻薬のようにノイジー・マイノリティの発言を活発にし、結果的にクレージー・クレーマーやネット右翼の暴発につながってしまう。それが社会、世論を誤った方向に誘導し、右傾化だけでなく日本社会そのものの昨今の機能停止、崩壊を誘発している可能性がある。大きなネガテイブなスパイラルが現代の日本を襲っているといっても過言ではない。そのためにはネトウヨ、ノイジー・マイノリティのネットの影響力を削ぐ必要性が急務である。
だからネットのインフルエンサー、有名人、その他のエスタブリッシュメントの関係者にいいたいのは、
彼らのメチャクチャなロジック、主張に対してひとこといいたくなる気持ちはわかるが、結果的に数千人ー数万人のフォロワーをもつ人間が反応すればそれだけでノイジーマイノリテイーに影響力を与えることになってしまう
はっきりいって彼らは「相手にしてくれる」から発言を繰り返すのである。逆に「相手にされなくなれば」ネトウヨ、ノイジーマイノリテイーのネットや世論への影響は急速に低下することになる。
そしてそれこそが安倍政権に対する最大の痛手でもある。なにせネトウヨは安倍政権の最大のサポーターだからだ。
日本を「後進国」にしたのは経団連? 経団連会長「PCでメールを使い始めた」という読売新聞の記事から
まあ事実だとすれば本当に呆れる記事だ。財界トップがパソコンを導入せず、メールで指示を出していなかったということが判明した
元々は読売新聞10月24日朝刊に「経団連会館の会長室に初めてPCが設置された」の発言が発端だということだが、「こんな時代に」「平成も終わるというのに」とネットを中心に驚きと呆れかえった反応が湧きあがった。
正直私自身も耳を疑ったが、一方ではさもありなんという印象も持っている。
実際大手企業の重役もメールや各方面の連絡の作業を「部下に任せている」というのが実態で、私とそれほど年代が違わない人間でもワードやエクセル、そしてメール等の作業を自分では行わずに「全て部下に任せている」人間が多いことを知って愕然とした
この中西宏明会長は元々技術屋なのでパソコンを全く使えないということはありえないが、歴代経団連会長が少なくともその職務中に殆どパソコンを使っていなかったというのは事実のようである
それは実際にさまざなところに影響を及ぼす。特に文書関係の会社同士のやりとりでペーパーレスがなかなか進んでいない点である。
実際海外での取引では請求書(INVOICE)をpdfで送付するのは当たり前である。わざわざ聞かなくてもそのINVOICEをメールでやりとりする。
ところが日本ではわざわざ請求書をPDFで受け付けるかどうかをいちいち聞かないといけない。印鑑云々が時代遅れというのもあるが、印鑑などはJPG化して貼り付けてしまえばいい話なのでたいした問題だとは思っていない。しかしその対応を行っても「紙の請求書」を要求されることは少なくない。(経験上、大企業や創業が古い会社、とかでPDF送信をNGといわれることが多い)
そんなこともあって先日の当ブログの記事にも書いたが「日本の後進国化」というのはかなり深刻な状況になっているといえるのだ。
そして上記の記事にも書いてあるように日本人の平均収入が著しく落ちている。以前は日本人に貧困など無縁だと思われた時代があったがもはやそれは昔話。
安倍政権が押し進めている非正規労働者の増加と先日の「日本型新裁量労働制」(通称残業代0法案)も経団連を中心とした財界の強い要望によって安倍政権が強行に押し進めたものである。
そして上記記事の以下の画像にもあるように、もはや日本人の平均収入は先進国のレベルとは到底言えないレベルまで落ち込んでいる
つまりどういうことか? ひとことでいえば
といういいかたもできるのだ
IT化で欧米諸国に大きく後れを取り、日本人の平均収入を大きく押し下げている経団連、それで日本は最先端の国と思っている人もいるようだが、それに対してこんな皮肉をいっている人もいる
困ったことにこれを真に受けた人も少なくないようなんだが、勿論これはメールを始めITツールを全く使っていないことを皮肉ったものだ。それにしても日本はネットリテラシーが低い(^^;;)
せめて請求書、見積り書くらいはPDFを日本の会社の標準くらいに規定してもらわないと、日本の事務作業のペーパーレス化はなかなか進まない。日本の後進国化はますます推進されてしまうのである。
西郷どんー幕末から明治に起きた日本史上最も劇的な変化とそれによって「捨てられた人」たちへの思い
西郷どんー今週から最終章ということで明治時代に入り西郷隆盛の長男(庶長子)の西郷菊次郎が西郷の人生について語るという形式に変わっています。この西郷菊次郎は結果として西郷の子供(5人いますが)で最も出世した人物で台北県支庁長や初代宜蘭(ぎらん)庁長を歴任後京都市長となります。台湾でも京都でもインフラ整備に辣腕を発揮した人物で非常に高い評価を得た人物です。おそらく西郷隆盛の愛用した「敬天愛人」を最も仕事の中で実践した人物として考えられたためでしょう。
さて、私はこの「西郷どん」が今年が明治維新150年周年に当たるという事もあり、日本のみならず世界でも稀といわれるこの明治維新というのは一体何なのか、について考えるよい機会だと思いました。
というのも日本の歴史を振り返っても幕末から明治ほどあらゆることがドラステイックに変化した時代は他に見当たらないと考えるからです。単に政権が平家から源氏に移ったとか、そういうレベルの変化ではないからです。
以下にリストとして江戸時代以前と明治で何が大きく変わったかについて思いつくまま羅列していこうと思います。尚、項目によっては若干時期のズレが生じたり等、わりとざっくりした部分もありますがご了承ください
・政治、行政制度の明治における変化
江戸時代 | 明治以降 | |
政権 | 徳川氏を頂点とする幕藩制度 | 初期は薩長を中心とする藩閥から明治憲法制定後は天皇を中心とする立憲君主制 |
政治制度 | 幕藩制度による封建体制 | 立憲君主から明治憲法制定後は議会制 |
統治者、地方自治 | 封建領主、名主等の世襲制 | 初期は明治政府の指名だが、そののち選挙による選出 |
政治行政の体制 | 藩を単位とする封建制度(実質連邦制) | 版籍奉還、廃藩置県による46都道府県体制。 中央集権化 |
統治の内容 | 封建領主による裁量 | 法治国家 |
官位制度 | 律令制による官位制度 | 初期は太政官制度、叙位条件制度に移行 |
身分制度、庶民 | 士農工商による身分制度(但し最近の研究では武士階級を買う等割と緩かったこともわかっている) | 華族を除けば原則4民平等 |
職業 | 身分制度による原則固定(農民は農民、商人は商人等) | 職業選択は自由 |
武士の身分 | 浪人でない限り幕府もしくは領主の支給する禄 | 武士階級の実質全員解雇(※注1)帯刀、仇討の廃止 |
経済制度 | 石高制 | 貨幣経済(円を単位とする) |
(※注1)廃藩置県、版籍奉還により各藩の藩士は事実上「全員解雇」と同じ状態になり、さらに金禄公債証書発行条例(従来の武士の禄高を債権に変えて何年越しで償還する、しかし一辺に支払うのは無理なので何年かに分けて支払うというもの)が最終的な西南戦争の引き金になったと考えます
政治、行政の面でこれだけドラステイックに変われば当然、その変化によって「捨てられる人たち」「変化についていけなくなる人たち」も大勢出てくるわけで、上記の表でわかるのはその「捨てられた人たち」の大半は既得権益を持っていた武士たちだったのです。
武士の魂の刀を取り上げられ、給料も取り上げられた状況、そりゃ反乱が起きるのも無理はない、ということで1876年に熊本県で「神風連の乱」、27日に福岡県で「秋月の乱」、28日に山口県で「萩の乱」と立て続けに起きるわけです。
西南戦争はその関係でいえば起きるべくして起きた反乱ということになります。ここの部分を今後西郷どんでどのように描かれるか興味がありますが、おそらく既得権益を失った武士たちの思いを理解した上で負けることを百も承知で乱の中に自らを委ねた、というのがたぶん実態ではないかと思います。あくまで「弱者からの眼差し」を失わなかった人間として..
不平士族の憎しみ、悲しみを自分が一手に引き受け人柱になる、それが西郷の意図だったように思います。
「明治維新は革命というしかない」、と言っていたのは司馬遼太郎でした。しかしその革命は幕末から明治の初期にかけての莫大な犠牲の上で成り立ってきたということは忘れてはならないと思います。
さらに明治時代に入って現代の我々の生活の基礎となるあらゆるものが明治で導入されていたことを記しておきましょう。先ほどと同じ表にします。
髪型 | 男性は髷、女性は日本髪 | ザンギリ頭、西洋風のヘアスタイル |
服装 | 和服 | 洋服と和服が混在 |
イノベーション | 徒歩、駕籠、馬 | 鉄道、電信、明治末期には自動車も出現 |
武器/strong> | 刀、槍、火縄銃 | 軍艦、新式の大砲、銃 |
食文化 | 米を主食とする和食 | 洋食、海外の料理の影響を受けたメニュー出現 (※注2) |
(※注2)現在我々が「国民食」と位置付けているカレーライスやラーメンを始め、いわゆる日本的な「洋食」といわれるハヤシライス、とんかつ、ポークジンジャーといった料理は全て明治に生まれている。
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明治維新の影には多大な犠牲、そしてその変革に乗り遅れ捨てられてしまった人たちがいます。その人たちの存在を忘れてはならないと思います。
しかしその「革命」といわれる明治維新ができたからこそ今の日本があったということ、そしてこれだけのドラステイックな変化を現代の我々が果たして成し遂げられるかというと、やはり難しいといわざるを得ないと思います。明治維新を成し遂げた大久保、西郷、木戸だけでなくその周囲の多くの偉人たちの功績にはやはり敬意を表さざるを得ないと考えます
富士通のレポート「ネットは世論を分断するのか?」を読んでー分極化するのではなくネットはノイジーマイノリテイの意見を増幅しやすいのではないか?
今ようやく読み終えたのだが富士通総研から興味深い研究結果が発表された。
■結びつくことの予期せざる罠
私はネット時代に入って何事も両極化しているように見えて、そうした傾向に対して違和感があった。
右でなければ左、白でなければ黒
灰色のようなものは「中途半端」という悪いイメージが何となくネットに広がっているように見えていた。このレポートはそういわれていることを検証したものだった。
とりわけ最近私は全世界的に以下の傾向が顕著と感じている
1.人々が好みのニュース、情報、それこそ自分にとって都合のいい情報のみを見聞きするようになる傾向ーこれを「選択的接触」という
2.SNSで自分と似たような人とばかり交流するようになり、意見が増幅される現状ーこれを「エコーチェンバー現象」という
これらによって政治的意見を始めさまざまな面で意見が分極化する、というふうに私自身も感じていたが、この研究レポートはその傾向について検証したものである。
結論からいうとFacebookやtwitterでは分極化の一定の傾向はあると認めたものの、本研究レポートの調査はネットによって意見が分極化して社会が分断される、という結果に疑問を呈している。
研究レポートを見ると、ネットがネトウヨを始めとする「保守(個人的には彼らを「保守」の中に入れるには抵抗がある)」とリベラル派という元々政治的意識の高い人達がFacebookやtwitterを使って意見を述べているので、ネット自体がネトウヨを始めとする「保守」とリベラルを分断しているとはいえない。
つまり数学的にいえば元々いた保守とリベラルがSNSを使ってネットの中で分断状況を作っているが、ネットがあったから保守とリベラルが分極化しているわけではないー必要条件ではあるが十分条件ではないーということらしい。
それはある意味正しいかもしれない。特にネトウヨといわれる人たちは全ネットユーザーの2%に過ぎないし、社会的にも圧倒的少数派だ。
だが最大の問題はこうした「ネットの少数派」はネットのあちこちで発言したり、成りすまし等で多数派工作をしたり等も含め、さらにネトウヨの同類が集まることによる「エコーチェンバー現象」によってあたかも彼らの意見が「多数派」であるかのように見えてしまう。という点であろう。
実際のネットユーザーの大半ではリベラルでもなく保守、ネトウヨでもない政治その他に対する関心の薄い人達である。それは世論調査で「支持政党なし」が50%を毎回超えている現状からもわかる。
つまり上記の研究レポートからいえるのはネットによって分極化は進んでいないものの
ネットでマイノリテイ―な意見が増幅されて、あたかも多数派であるかのように錯覚してしまう。
ということはいえるのではないだろうか?
上記のレポートでは「クレーム」についての研究もしており、いわゆる実際のクレームしたより、ナンセンスクレームや炎上をしかける人たちは全体1%に過ぎないというデータを提示している。
つまり
ネットではノイジーマイノリテイーの意見が増幅される傾向が強い
ということはいえるかもしれない
これは私の予測だが一定の方向の意見を増幅する「エコーチェンバー現象」の影響が強いと考える。特に炎上をしかけたり、芸能人に難くせをつけて叩くような人間は基本的にヒマ人であり、そういうヒマ人は一定の場所に集結する傾向が強いからだ。実際「炎上」が始まると決まってその炎上を増幅させようとする輩が横から入ってくる。「炎上」場所はそういう「ネットのヒマ人」の集結場所になる。
それらを考えるとよくSNSのヘッドラインニュースで芸能人の誰々のブログなりSNSが炎上状態になったというニュースが広がるが、多くの場合報道する価値が果たしてあるのか疑問だ。(芸能ニュース的には「面白おかしく」伝えるいいネタなのでちょうどいいのかもしれないが..) そのことに限らずマスコミも企業もそして社会全体もこういうノイジーマイノリテイが仕掛ける炎上、クレームに対していささか過剰反応し過ぎではないのか、と思う。
ネットはノイジーマイノリテイ―的な見解を増幅しやすい。そういう認識を広めることが大事なのではないだろうか?
西郷どんー幕末二人の巨人 論理と計算の大村益次郎と情に深い西郷隆盛
西郷どん せっかく江戸無血開城が実現したかと思ったら旧幕府軍による彰義隊の集結が始まり上野戦争が始まってしまいます。西郷はやむなく彰義隊を武力鎮圧しようとした時に出てきたのが長州のあの大村益次郎(写真)
そう、司馬遼太郎原作で大河ドラマ「花神」の主人公にもなった人物ですが、実はこの大村益次郎、ある意味で非常に日本人らしくないほどの冷静沈着、徹底的なロジカルな人間のため、情に厚いというイメージのある西郷と違い今一つ人気がありません。
風貌もこの写真を見る限り変わっており「火吹き達磨」のあだ名があります。
司馬遼太郎は小説「花神」の主人公に大村益次郎を選んだ理由に「人間には色々な才能があるがどの国の歴史にも軍事の才能を持ったものが一番少ない。日本においては源義経と大村益次郎の2人」という理由を揚げています。
この中で義経は判官びいきというのもあって人気がありますが、大村益次郎(旧名:村田蔵六)は元々は町医者ですが卓越した語学力で蘭書の翻訳作業から多くの軍事知識を得ていたようです。
戦いのプロである武士出身ではないことがかえって「型にはまらない」戦略が可能だったということもありますが、やはり元々卓越した軍事の才能があったということでしょう。その軍事的才能によって第二次長州征伐において僅か3000の兵で10万の幕府の大軍を破るという離れ業をやってのけます。
上野戦争では、戦いの全てが事前の構想どおりに進み、敵が退却する時間まで的中させて事前の発言通り僅か一日で終わらせています。
長岡、庄内、会津などの戦いでは、敵が降伏する時期まで的中させています。
さらに大村のすごいところは、銃砲弾の使用数や前線での諸経費まで予測しほぼ的中させていることです。
大村のすごいところは戦略を作る上で驚くべきほど綿密な計算を行い、作戦進行は常に冷静沈着でした。
結果として明治2年(1869年)、函館五稜郭で、榎本武揚らの最後の旧幕府残党軍も降伏し、戊辰戦争は終し、名実ともに明治維新が確立します。新しい明治時代の到来です。
さて戊辰戦争終了後、大村は注目すべき発言を行っています。
「奥羽はいま十年や二十年頭を上げる気遣いはない。今後注意すべきは西である。」と答えたように、西郷らを中心とする薩摩藩の動向が気になっていたようで、既に西南戦争を予想していたといわれます。
実際大村は西郷隆盛を全く評価していなかった一人であり、西郷を建武の新政後に反旗を翻した足利尊氏に見立てていたといわれます。そこまで西郷吉之助を警戒する理由はどこにあるのかわかりませんが、大村は人間のタイプとしては西郷とは真逆のタイプであることは確かでしょう。
日本人はロジカルな思考は決して得意ではない、と考えます。どちらかというと情で動く社会なので、その意味で大村は日本人には珍しい徹底的にロジカルなタイプの人間でした。それがある人たちとは相いれない部分があったと思われます。
西郷吉之助自身は大村益次郎の能力を評価していたようですが、何にせよ後の西南戦争を予期していたとすれば、大村益次郎の見識はやはり並大抵のものではないといえるかもしれません
ある「不正請求」のスパムメールでSNSのセキュリテイのぜい弱さを実感した件
今朝がたこんなメールが私のところに来た。文章自体はいかにも「不正請求」の内容なので通常なら無視するところだが、このスパムメールには看過しがたい点があった
何とこのメールの件名がかつて私がネットで使っていたパスワードをこれみよがしに使っていた。送りつけてきた私のセカンドメールアドレスとパスワードの組み合わせを考えるとかつて私の会社で昔アーチストを扱ってきた時に開設したFacebookの別アカウント(現在は閉鎖)からパスワードを盗み取った可能性が高いことが判明。
実はこのアカウントはいわくつきだ。
今から2年ほど前、「閉鎖した」つもりのこのFacebookのアカウントが何物かによって復活した。驚いた私はこのアカウントにアクセスしてパスワードの変更を行うことはできたが、なにせ6年前に閉鎖したアカウント、そのアーチストの誕生日をアカウント情報の確認データとして使用していたが、今更そんなことは覚えていない。結局そのまま放っておいた。そして今回のこの事態
パスワードは第三者が類推するのはほぼ不可能なものを使っているとタカをくくっていたがFacebookの不正ログインでいとも簡単にバレるということが判明した。それが上記の不正請求の件名になっていたのだ。これで強迫観念をうえつけようという魂胆で、おそらくはSNSのセキュリテイ―ホールから盗み取った可能性が大である。
ところでこのFacebook 実はアカウントの完全削除は意外にむずかしいことが判明。そもそも私は削除したつもりだったのだが、実は「退会」と「アカウント完全削除」は違うのだ。私は「退会」にしたがこれは『一時的にアカウントを閉鎖」するに過ぎなかったのだ。
アカウント削除方法についてはこのサイトを参考にした
上記のメールを受け取ったのは私だけではなく、かなり蔓延しているようだ
https://www.jpcert.or.jp/newsflash/2018080201.html
きをつけなければならないのはアプリ、連動アプリを使うとそこにセキュリテイホールができ、そこから不正侵入することが可能になる、アプリは便利な反面、セキュリテイのリスクが大きくなるので必要最小限にすべき
とくにvonvon meやnametestのアプリはスパマーやハッカーに個人情報を提供するようなものだから絶対に使わないように。友達が使っていると楽しそうだからついつい使っちゃうけどね
あとマメにログイン履歴をみること。身に覚えのない場所でのログインがあったらその場所をログアウト処理すること、パスワードもマメに変えるしかない。
SNSは確かに便利だけどやはりリスクもあるということは肝に命じておくべきだ
認めたくない人もいるだろうが残念ながら日本は既に後進国となっているーその原因と背景を考察
日本はG7を始め世界の主要な会議にも出席しているし、日本は世界でも裕福な国の1つで世界に冠たる先進国、などということを信じて疑わない人がいまだに多い。
だがそう考えているのはおそらく日本人だけかもしれない。まず「日本人は裕福」などという先入観が全くの嘘であることは次のデータをみていただくとわかる
<各国の平均年収比較(2015年)と価格・購買力平価>、単位ドル
ひとことでいえば夏休みに1か月近くバカンスが取れて、サービス残業なんかしなくて、「人生は楽しまなきゃね―」とすぐに遊びにいってしまう人々ばかりの国々よりも、劣悪な環境で働き詰めの労働者ばかりの日本のほうが貧乏である、ということ、ちなみにもう1つ〇がしてある「エストニア」は旧ソ連に入っていた旧共産国である。日本人の中では「旧共産国なんて」とせせら笑う人がいるようだが、上記のデータをみるとそんな国をバカにするほど日本が裕福でないことがわかる。
日本がこんなふうになってしまったのは非正規労働力の増加、先日の「日本型新裁量労働制」(通称残業代0法案)法案の自民党、公明党の強行採決を始めとする日本企業の人件費を大幅削減する流れに安倍政権が積極的に参加している、というのが背景にある
ひとことでいえば日本はもはや「低賃金で過酷な長時間労働をやってくれる国」になりつつあるっていうことだ。昔なら低賃金の海外に発注してコスト削減を図るというのが常識だったが、もはや逆になりつつあるということだ。
「民主政権より安倍政権の方が経済成長してる」という先入観をもっている人たちが多いが実は日本人の平均所得、が落ちてきたのは寧ろ安倍政権からである。結局安倍政権のいう「働き方改革」というのは安倍政権が日本の一般庶民に低賃金で犬のように働きなさい、ということに他ならない
実は日本が「後進国」になっているのはその所得だけではない。日常業務でも時代遅れ、どころか時代錯誤に近いことが大手を振ってまかり通っている。
次の記事
実際私は海外の人とメールやスカイプとかで話をしている時に「まだFAXなんて使っているのか?」と驚かれたことがある。実際私の知る限りでは先進国を自称している国でFAXなんて使っているのは日本くらいだと思う。
まあ上記の記事の印鑑ー特に社判などの件についてはJpeg化してデータに取り込めばいい話だが、実際請求書を社判のjpeg入りでpdfとして提出したら「pdfではなく正式な用紙で提出するように」といわれたことが何回かある。
面白いことに大企業ほどこの傾向が強い。会社によっては先方の指定された用紙に記入して郵送するように要求されることがある。全く平成も終わろうとしているのに、昭和のままの方法をいまだに頑なに守っている会社が少なくないというのは驚きである。しかも理由がさらに聞いてあきれるー「うちの会社はずーっとこのやりかたをしてきましたから」「わが社の慣習だから」 慣習やしきたりというものが日本企業にとってビジネスのイノベーションより大事、ということらしい。
私の本業である音楽は尚、深刻だ。もはやCDという商品形態に固執するのは日本だけで欧米は既にSpotifyやApple Musicを中心とするストリーミングでV字回復しており、音楽不況はもはや過去のものになっている。はっきりいって日本だけが取り残されている
Kyojiの音楽ひとりごと: 世界の音楽市場の足を引っ張っているのは、日本の音楽業界ー音楽のグローバル化を頑なに拒否し続ける日本の音楽業界
さらにもう1つ
Kyojiの音楽ひとりごと: 「音楽世界最後進国」の国から世界に追い付くための対策を始めます
それにしてもどうしてこうなってしまったのだろうか? 私が考えるに以下のことが考えられる
1.いまだにアベノミクスがまやかしであることに気づかず、日本人の平均所得を著しく下げたこと
アベノミクスは要するに日銀を中心に株価を実質的に操作して「景気が良くなっているように」見せているだけである。経済政策はほぼ財界のいいなりでありとりわけ日本人の平均賃金を著しく下げることに貢献した→平均所得がもはや先進国といえるレベルではなくなった ということだろう。問題は日本人の大多数が政治に無関心であり、うわべだけの株価操作だけを見て、安倍政権は民主党政権より遙かにマシ、などと思い込まされている(殆ど洗脳に近い)点である。いい加減に自分たちが騙されていることに気が付かないのだろうか?そこまで日本人の知性は劣化してしまったということだろうか?
2.日本人の経営者の高齢化→イノベーションや時代の流れに対応できず
以下のグラフは世界の経営者の平均年齢である。(2016年)
これを見ても日本の経営者の平均年齢は他の国と比べても突出して高い。特に経営者は実質的に人事と経理の実権を握っているから、商取引の慣習を変え辛い。先ほどの請求書をpdfによるメール送付でなく用紙で要求するケースも、多くの場合「経理部長」とか「社長」が紙での請求書を要求するために起きることが多い
また上記の記事にも書いてあるように…
「メールでの連絡はチェック漏れの可能性があります。次回からは、必ずFAXで、ご連絡願います!」
全く意味がわからない。メールだとなぜチェック漏れの可能性があるのだろうか?紙による文書だって同じくらいチェック漏れがあるだろうに
ITスキルを使って煩雑化した作業を効率的にこなそうとしたら「ズルするな!」とキレられる職場もあるという
PCに精通していないおじさんたちにしてみると、こういった作業効率のアップのための努力は「卑怯なこと」らしい。結果日本の会社は恐ろしく業務効率が悪くなる。上司だけが発言して部下が一切発言しないという、どう考えても意味のない会議も相変わらず少なくないようだ。なぜ続けているかというと「決まりだから」だそうだ。先進国の企業が聞いてあきれる
残念ながらこういうケースもまだ少なくないようだ、
そして最後に
3.大企業の社長の大多数は「サラリーマン社長」である
日本の大企業の社長の大半は社長に就任すると同時に不思議なことに退任時期も実質的に決まっていることが多い。つまり社長になるのも予定通りで退任も予定とおりだ。海外の企業のCEOからすると理解できない仕組みである。
勿論例外もあるだろうが「サラリーマン社長」となると最初から決まっている任期を「つつがなく」過ごし「大きな問題もなく」任期を終えるということが至上命題となる。そうすれば安定した老後が過ごせるというわけだ。
そうなるとどうなるか?会社にとってのあらゆる「新しい試み」は「サラリーマン社長」にとってリスクになる。全てが「決まり通り」進み、「前例通りに」動くことが是とされる。その結果会社には一種の官僚主義がはびこる。その結果こんなおかしなことが起きる
実は企画がらみの仕事をしているので上記のような例に遭遇したのは一度や二度ではない。今の日本の「典型的な」ケース。縮図といってもいい
「今までにない斬新なアイデア」が前例のあるものであるはずがない こんな簡単なロジックすら今の日本人は理解できなくなっているほど日本人が劣化しているともいえるが、これはたぶんに「サラリーマン社長」の「大きな問題もなく」任期を終えるために徹底的に「前例主義」になってしまうわけだ。残念ながらこれはもはや日本企業の体質になってしまっているといえよう
上記の「経営者の高齢化」と「サラリーマン社長」の状況は企業のビジネス環境の変化への対応に著しい支障をきたすことが増えている。ことに最近目立つのは政治や行政は勿論のこと企業でも「一度決めたこと」をあたかも宗教のドグマのように頑なに守る傾向が見て取れる。例え会社組織として「決めたこと」であっても社会の実情に合わなかったり、市場その他の環境の変化によってもはや誰の目にも変更が必要なのにもかかわらず「一度決めたこと」だから頑なにそれを変えない。
これらは思考の硬直化をまねき折角のビジネスチャンスや発展の機会を逃してしまうことにもつながる。事実そのことによって日本のビジネス環境は著しい閉塞状況、停滞状況を作ってきたのではあるまいか。
「経営者の高齢化」と「サラリーマン社長」の関係か、最近の日本をみると「上の人間」ほど柔軟性に著しく欠け、目まぐるしく変わる企業環境に対する対応が遅れる傾向があるように思う。それも日本がなかなか復活できない原因ではあるまいか
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最後に上記引用の記事の締めの言葉があまりに適切なのでそれをそのままこちらの記事でも引用させていただく
どうも後進国には、二通りの経緯があるように感じる。一つは元々人、物、金が枯渇していて、にっちもさっちもならない国。そしてもう一つが、一時の成功にあぐらをかいて進歩をやめ、他国が切磋琢磨するうちにどんどん追い抜かされてしまった国だ。日本はまさに、後者に該当する国になってしまっているように感じてならない。
昨今の状況を見るとこれに私も同意せざるを得ない