KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

あの日から7年目 忘れてはならない日と鎮魂の思い

2011年3月11日 これが何の日かわからない日本人はいないだろう

この日は絶対に忘れてはならない日である。

その時の自分の状況を備忘録として記録した記事が当ブログにあるので興味ある方はよんでいただければと思う

kyojiohno.hatenadiary.com

本当にとんでもないことが起きた日だった

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津波

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津波地震による大被害

そして実は首都圏でもかなりの被害があったことを忘れている人も多いだろう

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千葉のコンビナートでの火災

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横浜駅でのビル壁崩落

 

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横浜ダイエーでの被害

東京でも何と死者が出た。歴史ある九段会館

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天井が崩落して死者が出てしまった。九段会館は解体が決まっているが震災から7年、いまだに手が付けられていない

この東日本大震災の最大の問題として発生して7年、いまだに復興のメドすらたっていない点にある。

原因は

1.一向に収まらない福島第一、第二原発放射能問題

2.それに伴い福島原発周辺の住民が自宅に帰還できないでいる

3.いまだに7万3千人か避難生活を余儀なくされている

https://www.asahi.com/articles/ASL393FSLL39UTIL00Q.htm

特に福島原発の状況は深刻になる一方である、安倍首相が世界に対して"Under control" などといったのは真っ赤なウソであることは火をみるより明らかである

これに対して今日という日に何ができるか?

まず毎年Yahooがやっている「検索は応援になる」

Yahoo! JAPAN

https://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A7dPeniqlaRawzAAm3eJBtF7?p=3.11&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=3.11&at=&aa=&ai=wuRcDIiORUePw_mhLfXrHA&ts=2809

そしてなぜか殆ど報道されていないが、一向に状況が改善しない福島原発事故の被害者。国連人権委員会から国連加盟国4カ国が、原発事故被害者の人権状況を是正するように、日本政府に以下のように勧告した。ご存じない方も多いだろう

そして被害者の声が反映されないまま、避難指示が解除され、賠償や住宅支援の打ち切りが強行されようとしている。

それに対して反対署名を行うことも重要であろう

act.greenpeace.org

とにかく3月11日 この日を忘れてはならない

本来のジャーナリズムの姿勢が矜持を示す朝日新聞-他の新聞は「安倍政権の広報紙」のままか?

ようやく安倍政権が本格的に追い詰められている、久々に少し面白くなってきた

 

安倍政権発足以来、日本のメデイアは安倍政権と官邸の圧力にいとも簡単に屈し殆どの新聞、メデイアは実質的に安部政権の広報紙化してきた。しかしここにきて朝日新聞は安倍政権への攻勢を強めている

まず民主主義のメデイアと報道というのは本来政治権力のチェックという重大な社会的使命があるはずだが、日本の殆どのメデイアはその社会的使命を事実上放棄していたような状態である。

だがここへきてどういうきっかけかわからないが朝日新聞が本来のメデイアの役割を思い出したかのように安部政権にとって「都合の悪い」報道を次々に行っている

 

その極め付けは財務省での森友問題の公文書改竄疑惑である

勿論公文書改竄は重大犯罪である。もし安部政権の指示だとすれば内閣総辞職、安倍政権の終焉を意味する

mainichi.jp

 まず、お断りするが森友問題の公文書改竄の有無はここでは置いておく。

ただ状況証拠的には実際に改竄があったのではと思われても仕方がない

1.安部首相や安部政権の感情的ともいえる朝日批判をしながら肝心の疑惑の中枢に関しては誰一人明確に反論していないこと

2.財務省自体が国会答弁で改竄を明確に否定していないこと

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もし朝日新聞が完全にデマ、フェイクニュースを報道しているのであれば、森友文書が大阪地検にあるから出せないとか、ゴマカシと受け取られても仕方のない答弁などはしないであろう

だが、今までの答弁を見てもごまかそう、有耶無耶にしようという意思があるとしか思えない答弁なのである。

まあ朝日新聞としてはここまで大々的に安部政権にとって極めて都合の悪い記事を書いている以上、かなり裏を取った上での記事だろうと思う。もしフェイクニュースであれば朝日新聞自体の存続に関わる

スクープは第五弾まで用意しているとのことなので、今回は本気かもしれない。

■本気の倒閣へ舵 安倍首相vs朝日新聞が「最終戦争」突入へ

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/224459/1https://mainichi.jp/ch150910698i/%E5%AE%89%E5%80%8D%E9%A6%96%E7%9B%B8  

ほぼ社運をかけているくらいの気持ちだろう。

問題はここまでの矜持を見せられる報道機関が他にあるかどうかだ。

産経などは絶対にありえないだろうし、他の新聞も現在は日和見だ。

だが明らかに安部政権の終末が見えてきたときはマスコミ各社一斉に攻勢にたつだろう。いずれにせよもう安部政権は改憲だ、などと云っている場合ではなくなったのではないか

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こうして笑っていられるのはあとどのくらいか、もし森友の改竄が完全に証明されたら

久々にmixiにログインして思う

日本のソーシャルネットの草分け的な存在だったmixi

かつては大変重宝していたが、今はすっかり使わなくなった。昨年は私の記憶に間違いなければ一度もログインしておらず、ここ数年も本当に数えるくらいしかログインしていない

昨日何を思ったが久々にログインしてみた。

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一応まだアカウントはあった。あまりに久々にログインし最後にログインしたのはいつなのか覚えていない。mixiではかつて「ログイン履歴」というのがあって最後のログインはいつだったかわかるようになっていたはずだが、昨日ログインした段階ではそれを見つけることはできなかった。

 

今は完全にFacebookを中心にソーシャルネットの作業を行っている。今やマイミク(懐かしい言葉だ、Facebookの友達にあたる) はFacebookの友達の約6分の1 

Facebookではグループの管理人や多くのFacebookページを作っていることもあり、もはやmixiがかつてのようなメインのソーシャルネットの役割を果たすことはないだろう。実際ここ一か月以内にmixi"でログインしたマイミクは10人に満たなかった。これではもはやソーシャルネットの機能は果たせない

実は考えているのはこのmixiのアカウント、どうしたものだろう、とも思うのである。このまま放置していてもいいものだろうか? それともどうせ使わないし逆にかつてのような「頭のおかしい奴」にからまれる原因にもなりかねないので閉鎖した方が無難だろうか? 、といろいろ考えるのである。結局結論は出なかった

まあtwitterのタイムラインや当ブログの新記事がアップされるとmixiのアカウントに反映されるので、万が一興味を持ってくれた人がいたらチェックしてくれるかもしれないが..

mixiのアカウントをなぜ使わなくなったかといえば前にも書いたと思うが、0年代の最後(2008-2011年くらい)は炎上、荒らしが日常的に発生し、私自身もずいぶん嫌がらせ行為も受けた。女性では実際にストーカー被害に遭った人もいたらしい

ハンドルネームという「匿名」の悪い面が出て、無責任な行動、発言が相次ぎ、コミュニテイもアカウントも毎日のように炎上した。この時代は中川淳一郎さんのいう「ネットのバカなヒマ人」にとってmixi天国だったといっていい。そしてこれも以前にいったがmixiの運営者はそういった炎上、荒らし行為の取り締まりに消極的だった(少なくとも消極的に見えた)残念ながらmixiの運営者はこの時に取り返しのつかないミスを犯したといっていいだろう

ネットの黎明期には「インターネットは自由放任であるべきだ」と考えているIT関係者が少なくなかった。しかしそれが何をもたらしたかは、昨今のネットのデマやフェイクニュースの氾濫という惨澹たる状況をみれば説明の必要はあるまい。

残念ながらネットやウエブサイトを健全に運営するには一定の規制を含む「クオリテイーコントロール」をしていかないと機能しないのである。10年前にmixiでこんなことを書いたらたちまち炎上や荒らしを仕掛けた輩がいただろうが、さすがに現在ではこれに異を唱えるものはおるまい。ウエブサイトが2ちゃんやmixiの08-11年のような状態になるのは実に簡単なのだ。

Facebookだってかつてのmixiのような状態にならないとは言い切れないだろうが、私的にはmixi状態にFacebookがなるならとっくになっているだろうと思う。Facebookは業務上の連絡を行ってもmixiのように「商用利用だ」などといって騒ぐバカはいないし(Facebookは「商用利用を禁止していない」-その代り広告を出せという表示がうざいくらいに出るが) 建前上自分の「本名を出す」という実名主義なため、mixiのような無責任な行動や言動はやり辛い。ネトウヨもかなりFacebookにはいるものの露骨なヘイトスピーチだとアカウント閉鎖されるためmixiのような派手な炎上を仕掛けにくいというのもある。

さて、このmixiのアカウント、このままにしておくべきか、それとも閉鎖した方がいいか。いつ「ネットのバカなヒマ人」スパマー、荒らし屋に襲われないともいいきれないが、取りあえず今のところは無害にはなっているが

まあ状況を注視して、少しでもmixiでおかしな動きが出てきたら閉鎖も含めて検討することとしようと思っている

 

固定電話の時代は終わったーさらばビジネスフォン FAXもあと何年使われるか(いずれなくなる運命)

時代の流れでコミュニケーション手段は変わる。これは避けられないことです。

それで前々から準備していたのですが、私の会社はビジネスフォンをやめケーブルテレビの中の固定電話回線の1本に統一することにしました。

今までは(1)  会社の代表  (2)  自宅の電話  (3)  FAX回線と3つにわけていましたが、最近とみに固定電話を使うことが激減したこともあり、従来のようにリースとはいえ電話の機器にコストをかけるというのは不経済であると感じていました。

そして本日その解体工事を行いました

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主装置とビジネスフォン

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長年使っていたビジネスフォンともおさらば

実際問題として業務上の連絡は殆ど携帯、メール、そしてソーシャルネットで9割済んでしまうのでコストダウンの観点からもこうした方が合理的と思います。
FAXも一応とっておきますが、話によると今時使ってるのは日本くらいで、海外ではもうFAXなんて使っていないらしいですね。まああと5年、どんなに遅くても10年経てば誰も使わなくなるでしょう。もう今の時点で営業FAXしか来ないですしね。一応しばらく残してはいきますが、これはいずれなくなる運命だと思います

実際海外の人間から

「まだFaxなんて使っているのか?」といわれたことがあります。

確かに画像や書類はメール添付で全てすもし必要ならばプリンタでプリントアウトすればいい。それ考えると時代はFAXをもはや必要としなくなるのも時代の必然でしょうね

解体は1時間ほどで終了

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一応これからは民生機器の電話機になります。はっきりいってもうこれで十分です。これもそんなには使わないと思います。

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でも一応会社なので固定電話を使わないわけにはいきません。それで会社らしくするために外部のコールサービスで電話の受付をしてもらうようにしました。

実は固定電話でかかってくる8割ー9割はセールス(営業)電話です。これに対応する時間ははっきりいって時間の無駄以外の何物でもありません。弊社のWeb経由や商工会その他の問い合わせはそちらに連絡してもらうようにしました。

これはセキュリテイ上の対策でもあります。以前迷惑電話や嫌がらせ電話で嫌な思いもしたことがありますので、それに対する防波堤でもあります

ちなみにこのコールサービスの業者は営業電話はコールのカウントに入れません。これも助かりますね

ということで今日から電話というビジネスで最も重要なツールですが新体制に移ります

ちなみに弊社の新大代表番号は03-6902-0970です。
お仕事の依頼の時だけ電話して下さい(笑)

西郷どん(せごどん)-なぜ薩摩藩の人々は貧乏だったか

西郷どん(せごどん)-今日は先週かいたお由良騒動についての話しでした。薩摩藩内の斉彬派の粛清が始まり、これで父斉興と斉彬の関係はもはや修復しがたいものになりました。斉彬はこれによって窮地に陥りますが、来週今日初登場の藤木直人扮する老中阿部正弘に助けられ、父の斉興は強制的に隠居させられます。

お由良騒動についての詳しい話はこちら

kyojiohno.hatenadiary.com

さて、ドラマでは下級武士である西郷家を始め、薩摩の農民の貧窮ぶりが描かれていますが、なぜ農民や下級武士までが食うや食わずの生活に追い込まれているのか、薩摩藩の取り立てがなぜあそこまで過酷なのか、について説明しようと思います。

薩摩藩は表石高(一般に発表されている米の収穫高)は72万石という加賀百万石に継ぐ大藩です。江戸時代には無数の小藩がありましたからそれに比べるとかなり豊かにみえますが、実は大名の表石高と実際に収穫される米の石高は一致しないことが多いのです。

大名の領地の「石高」は詳しく書くとややこしくなりますが、江戸時代の土地の評価単位で土地の等級に従って決められた1反 (991.736m2) あたりの公定収量をを耕地,屋敷の面積に乗じて計算し,1村分の石高の合計を決定しているので、たいてい土地の広さに比例するわけですが、田畑にするのに適した土地か、その他気候、条件等を入れていたわけではありません。そのため表石高と実際の収穫高には土地によって大きな違いが生じるわけです。

例えば伊達氏の仙台藩は表石高62万石ですが、実際の米の収穫高は120万石はあったといわれ、越後長岡藩にいたっては表石高30万石が実際には100万石近い収穫があったといわれています。どちらも現代でも米どころとして有名なのは周知のとおり。

しかし薩摩藩は表石高72万石(琉球支配下に置いて実際は90万石ともいわれますが)ですが藩内の土壌の多くは水持ちが悪く稲作には適さないシラス台地であったため土地が貧しく、実際には半分の35万石くらいしか収穫できなかったようです。

もうわかりますね? 表石高の半分しか米が取れない。江戸時代は実質的に米本位制といってもいいくらいに米の先物市場の取引で実際の金銭の収入がきまりますので米の収穫高の薩摩藩の収入は極めて少なかったわけです。

薩摩藩の斉興の時代はその少ない石高の収入を可能な限り徴収して薩摩藩の財政をたてなおしているため、農民や下級武士は当然ながら困窮状態に陥るわけです。それが西郷や大久保が斉興派に対して反感を持つきっかけになったことは間違いありません。

薩摩藩は石高の収入不足を奄美大島の砂糖(「ブラタモリ」ご覧の方はおわかりですが、これも恐ろしいほど過酷な取り立てを薩摩藩は行ってました)や琉球での貿易で補っていました。琉球の貿易はかなり薩摩藩を潤わせたようですが、何せ鎖国の時代、それを大っぴらにすることは勿論できませんでした。

しかし琉球王国は日本と違い鎖国をしていませんでしたから、清国や欧米列強の情報を他の藩よりも早く収集することができ、それが明治維新への原動力になったのは事実だろうと思います。

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薩摩藩の洋式軍備や藩営工場があった集成館

琉球のルート、そして幕末に行う薩英戦争で逆に薩摩独自のルートで武器の調達を可能にしました。勿論米不足は深刻でした、

そこに目をつけて本来は犬猿の仲だった長州藩を結び付けたのがご存じ坂本龍馬です

長州藩は薩摩と違い米が豊富にとれた藩でした。そして激しい尊王攘夷運動から倒幕運動に傾倒したため、幕府軍による長州征伐が行われますが、最新鋭の武器が欲しい長州と米が欲しい薩摩、お互いの足りないものを補って同盟関係を構築したことが世の中を大きく動かすことになりました。

このあたりは後程描かれるでしょう。長州藩の登場人物(桂小五郎伊藤俊輔、井上問多、そして勿論高杉晋作)と坂本龍馬 全員後程出ると期待しますが、誰が誰を演じるのか楽しみですね。

米がロクに取れない食うや食わずの西郷だったからこそ時代を動かすハングリー精神が生まれたのかもしれません

 

ネットSNS時代で年賀状はいずれなくなる? Faxも たぶん....

毎年この時期になると年賀状の「お年玉くじ」の抽選で1-2等は無理としても3当の「切手シート」は毎年あたるのだが、今年はなんと当選が0枚!!

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たいてい過去の例からこういう年はあまり良くない年になっているので今年は気を付けよう、そして営業その他についてはいつもの年以上に仕掛けて行こうと思っている、

 

今年のお年玉くじの当選番号は次の通り

等級 賞品名 当せんの割合 当せん本数 当せん番号
1等
(下6けた)
セレクトギフト(12万円相当/1万点以上の商品・旅行・体験プラン等からの選択)又は現金10万円 100万本に1本 2,978本 784640
2等
(下4けた)
ふるさと小包など
(39点の中から1点)
1万本に1本 297,856本 3260
3等
(下2けた)
お年玉切手シート 100本に2本 59,571,320本 27
86

とはいえ、ここのところ思うのは年賀状の出す数が著しく減少していることだ。

理由はメールでの年賀が増えて来たし、FacebookやLine等のソーシャルネットでの年賀が増えてきたことも大きい。

かつて多い時は200枚くらい年賀状を出したものだ、それが今年出した数は70枚

年賀状自体も来たのは50数枚、昨年よりも大幅減だ、

そしてどうもそれは私だけではないようで、葉書として年賀状を出すケースが減っているケースが多いようだ。

となると今後増えるというのは考えにくいので一昨年当たった「切手シート」がもしかしたら最後になるかもしれない。

時代の流れでコミュニケーション手段は変わる。これは避けられないことである

時代の流れといえば来月、うちは長年使っていたビジネスフォンをやめ、家の電話回線はIP電話のみ。会社の大代表は家の中ではなく外の代行業者に任せようと思っている

その中でFAXマシン

一応しばらく残してはいくが、これはいずれなくなる運命だと思う

実は私の知る限り、先進諸国でFAXを使っているのは日本くらいだという。実際アメリカの友人に「まだFax何か使っているのか?」といわれたことがある。

確かに画像や書類はメール添付で全てすむし必要ならばプリンタでプリントアウトすればいい。日本の場合でもたぶんあと5-10年以内にはなくなるだろう。

 

年賀状、FAX  固定電話  いずれ存在すら忘れられてしまうものになってしまうかもしれない

西郷どん(せごどん)-薩摩のお家騒動、お由良騒動について

西郷どん(せごどん)今日から主役の鈴木 亮平が出てきます。幕末の大きなうねりが始まるのはまだ先でしょうが、まずは幕末の薩摩藩を語る上で避けて通れない事件が薩摩のお家騒動となった「お由良騒動」です。本日の放送でも既にその前夜といえる場面が描かれていました。

 

 お由羅騒動(おゆらそうどう)は、江戸時代末期(幕末)に薩摩藩鹿児島藩)で起こったお家騒動。別名は高崎崩れ、嘉永朋党事件。藩主・島津斉興の後継者として側室の子・島津久光を藩主にしようとする一派と嫡子・島津斉彬の藩主襲封を願う家臣の対立によって起こされたものです

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島津斉興 1791-1859

斉彬の父で当時の藩主の島津斉興(鹿賀丈志)は保守的な性格でドラマでも描かれているように先進的な斉彬を嫌ってました。また斉彬の祖父の重豪の影響が強い斉彬を嫌っていた斉興や家老・調所広郷などの重臣達の方が久光を後継者にと望んでいたということで、いわば薩摩藩の中の進歩派と保守派の対立という構図があります。斉彬の祖父の重豪も進歩派で「蘭癖大名」といわれ、斉彬の父の斉興の時代にようやく黒字化した薩摩藩の財政を斉彬がかつて祖父重豪がそうであったように、再び悪化させるのではと恐れていた面もあるようです

それに対し、斉彬の早期の家督相続を希望していた勢力もあったため、壮年の斉彬にいつまで経っても家督相続せず倹約ばかりを強いる斉興へ反発を感じる若手下級武士や、斉彬を高く評価する阿部正弘でした。斉彬は、将軍・徳川家斉の弟で御三卿の一橋家当主・一橋斉敦の娘・英姫rを正室としていた事もあり廃嫡が不可能なのですが、斉興はどうしても斉彬に家督を継がせたくなかったらしく藩主に居座っていたようです

 

そこで今日も少しその模様が描かれていましたが琉球における密貿易を老中・阿部正弘に密告するという、一歩間違えば藩改易に成りかねない紙一重の手段に打って出ます。その結果、竜雷太さん扮する家老・調所広郷は阿部から直接事情聴取を受けた直後の嘉永元年12月19日(1849年1月13日)、薩摩藩江戸芝藩邸で急死します。斉興が隠居に追い込まれないよう一人で罪をかぶり服毒自殺したといわれます。

斉彬の子女で生き残っていたのは女子3人だけで、久光の子女が無事に成長していたのとは全く対照的で。斉彬派の家臣はこれを「お由羅の方が斉彬とその子女を呪ったものである」と考え、お由羅の方及び久光を擁立する家臣を、これを理由として排除しようと計りました。しかしそのため斉彬派へ徹底した弾圧がおこなわれ、本国から江戸屋敷に至る間まで斉彬派の切腹、蟄居、遠島などが行われ、斉彬の襲封は絶望的であるかに見えました。

しかし斉彬派の藩士で脱藩、一部の斉彬派藩士福岡藩に逃げ込みました。福岡藩主・黒田長溥は斉彬の年下の大叔父であり、実家の騒動を見過ごせなかった長溥は斉興が脱藩士を引き渡すよう強要するもこれを拒絶、実弟八戸藩主・南部信順と計って老中・阿部に事態の収拾を訴えた。以前より斉彬を買っていた正弘は将軍・徳川家慶に斉興へ隠居を命ずるよう要請。さすがの斉興も将軍命令とあっては拒絶できず、遂に斉興は42年勤めた藩主を心ならずも隠居し、家督を斉彬に不本意ながらも譲ったというのが経緯です。

つまり正室の嫡子である斉彬と側室の庶長子である久光の表向きは家督争いのお家騒動ということになりますが、不思議なことに斉彬と久光自身は仲が悪いわけではなかったようです。

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島津斉彬1809-1858

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島津久光1817-1887

また騒動の首謀者とされるお由羅の方にはその後特に大きな処分はなく天寿を全うします。大勢の藩士の生命の代償があったので何かすっきりしないですけどね

来週からこれに向けての動きが活発化するでしょう。明治の原動力となった薩摩藩長州藩ですが、長州藩にも椋梨という保守派がいたように、薩摩藩にも保守派が牛耳っていた時代がありました。決して開国開明派だけの藩ではなかったということは押さえて置かねばなりません。

 

斉彬は1858年に急死しますが、毒殺説もあります。西郷は斉彬に抜擢され手と足となって働きますが、久光とはそりが合わず久光が毒殺に関与していると西郷が考えたのが久光と西郷の確執の原因という説もあります。実際このところは「西郷どん(せごどん)」でどのように描かれるでしょうか? 見てみたいと思います

来週からこれに向けての動きが活発化するでしょう。

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